近藤養蜂場

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転地養蜂

はちと旅をする

日本地図
  • ① 鹿児島県

    夏が終わり、蜂と共に冬を越すために南下します。鹿児島の温暖な地で、来年の春に備えます。

  • ②  大分県

    近藤養蜂場の拠点となる大分県国東半島は、温暖な気候が特徴です。春のれんげの花畑は圧巻です。

  • ③ 島根県

    日中の熱い時間帯を避け、深夜に5時間かけて島根県に移動します。島根県は日本の中でも有数の蜜源で、トチやハゼなどの蜂蜜が採れます。

  • ④ 北海道

    さらに北上して、アカシアの花を求めて北海道を目指します。集めた蜜は、その場で蜜蓋を外し、遠心分離機にかけて採蜜します。

転地養蜂とは

近藤養蜂場は、1909年(明治42年)より大分県国東の地で、
れんげの花の採蜜から養蜂を始め今年で110年を迎える養蜂場です。
以来100余年、伝統的な日本独自の’転地養蜂’を親子4代受継ぎ、
蜜箱を持って南は九州の鹿児島からはじまり、
大分、島根、北海道、と日本各地をみつばちと花を追って、旅をしています。
国内ではあまり見かけなくなったこの’転地養蜂’を受け継ぎ
守っていくことも私たちの使命です。

  • まだ世が明けない暗いうちから、巣箱をトラックに積み込みを開始します。巣箱は一度におよそ50箱から多いときだと100箱に上ります。

  • 春から夏にかけて行う転地養蜂では、暑さに弱い蜂のため日中を避け、移動は大抵夜中から明け方に行います。

  • 人里から離れ、目当ての花が咲くエリアに箱を設置し、管理する体制を整えます。周辺の環境はとても大切です。

  • 1箱につき、1匹の女王蜂と、約4万匹の働き蜂が生息します。巣箱から飛び立った蜂は必ずその巣箱に戻ります。

  • 蜂の住処である巣板の糖度が80度まであがると、蜂は自ら蝋を出して巣に蓋をします。

  • 蜂が巣板いっぱいに集めたはちみつは、その場で濾過し、新鮮さを保ちます。

  • 花の旬が終ると、次の場所を目指して次の土地へと旅立ちます。

  • 現在は、大分県、島根県、北海道をメインに旬を追いかけて移動しながら採蜜しています。

  • 蜂の寿命は約2ヶ月〜3ヶ月です。移動しながら卵をかえし、新しい命を育みながら旅を続けていきます。

代表取締役

代表取締役

近藤成明

近藤養蜂場四代目。1971年大分県豊後高田市に生まれる。自然豊かな土地で蜂とふれあいながら幼少期を過ごす。農業をきわめていきたいという思いから東京農業大学へ進学、その後JA全農で2年間農業と営業を勉強後、四代目として近藤養蜂場の後継者になる。後継者が年々減少している養蜂を次世代へつなげていくために、九州養蜂青年部で会長を務め、養蜂の楽しさや素晴らしさも伝えている。

私にとって蜂は、一番大切な家族であり友だちです。

私たちは養蜂場です。毎日、蜂と接しています。いつも忘れてはならないことは、彼らが自然の一部だということです。その事実は私たちもまた、自然の一部だということを思い出させてくれます。自然の営みは決してコントロールできません、気候や気温と共に常に変化し続ける花の開花、蜂のコンディション。その状況に寄り添う形で、技術と経験を用いて、はじめて私たちが蜂蜜を採ることができます。また、近藤養蜂場は養蜂場でありながら、蜂蜜専門店でもあります。蜂蜜がどの食材に合うのか、蜂蜜をよくよく知っている私たちだからこそおいしく食べる方法を提案できるのだと思っています。加工品というと平たい呼び名ですが、蜂蜜料理だと思って作っています。養蜂場が考えるおいしい蜂蜜レシピ。これをもっと増やしていきたい。蜂蜜がお客さんに届いて、おいしいと言われることが一番嬉しいんです。おいしいという声があがれば、再び蜂が増え、またおいしい蜂蜜が採れる。その循環を作り出していきたいのです。

会長

会長

近藤純一

近藤養蜂場三代目。1942年大分県豊後高田市に生まれる。先代と二代目に直接養蜂を教わり、この道に入りすでに55年。昭和40年代以降、養蜂のみならず、蜂蜜を瓶詰めにして小売販売していくというスタイルを築き、現在の近藤養蜂場の商売の礎を作った。現在は主に、養蜂部を担当し、日々蜂の声を聞く。“転地養蜂”という伝統的な生業を続けていくために、若い世代の育成にも力を尽くす。

私にとって蜂は、命。宝ですね。

365日蜂を育て続けるということは、とても大変なことです。 巣箱のなかの温度、環境、いろんな条件を整えることで良い蜂が育っていきます。それらすべてを見極めていくことが私たちの仕事です。毎日蜂場にいけば、昨日あの蜂はあんな風に動いたなとわかります。毎日蜂に接し続けることでしか、彼らを理解することはできない。最も数の多い働き蜂の、たった60日間の寿命のなかで、良く動く良いDNAを遺していかねばならないのです。それも変化を続ける自然環境に順応した姿で。そこには技術が必要です。これを受け取って残していく意志のある若い養蜂家も必要です。それから、まだまだ日本には隠れた蜜源があると思います。新たな場所を開拓していくことも私たちの課題です。自然界に蜂が存在する価値は想像を超えているんですよ。メロンやスイカ、苺など蜂がいなかったら食べられません。多くの農作物の交配においても重要な役目を果たしているのです。